高松高等裁判所 昭和38年(ネ)84号 判決 1965年2月26日
控訴人 高石準一
被控訴人 津島宗康
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一、控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。
二、被控訴人は、請求原因として次のとおり陳述した。
(一) 昭和二五年一二月、当時控訴人が所有経営していた愛媛県伊予三島市三島町字銭倉所在の三島化学工業所のターフエルト製造加工工場の建物、敷地、機械器具等が、伊予三島税務署長により租税滞納処分による公売に附され、訴外三島工業株式会社がこれを競落した。被控訴人は愛媛弁護士会所属の弁護士であるところ、昭和二六年二月上旬、控訴人より右公売処分取消請求の訴訟代理を委任され、高松国税局長を被告にして高松地方裁判所に右公売処分取消請求訴訟を提起し、第一審においては本件控訴人側が敗訴したが、第二審においては勝訴し、昭和三三年五月二四日、最高裁判所は相手方(高松国税局長)の上告を棄却する旨の判決を言渡し、本件控訴人勝訴の第二審判決は確定し、右公売処分は取消された。
(二) 控訴人は、右行政訴訟が第一審に係属中である昭和二八年一二月、国及び株式会社伊予銀行を被告として東京地方裁判所に対して、右公売処分の違法を理由とする損害賠償慰藉料請求訴訟(同裁判所昭和二八年(ワ)第一一、三一〇号)を提起していたが、被控訴人は控訴人の依頼に応じ、他の四名の弁護士とともに右訴訟の訴訟代理人となり、訴訟活動に従事した。
更に被控訴人は、控訴人の委任により、控訴人の訴訟代理人として、前記公売処分の違法を理由とし、松山地方裁判所西条支部に本件控訴人から提起された(イ)所有権移転登記抹消登記手続並びに物件引渡請求事件(同裁判所昭和三三年(ワ)第一六五号、被告三島工業株式会社、第一、第二審とも本件控訴人側が勝訴し、上告審に係属中後記のとおり取下げられた)、(ロ)不当利得金返還請求事件(同裁判所昭和三四年(ワ)第一八三号、被告三島工業株式会社)、(ハ)抵当権設定登記抹消登記手続請求事件(被告株式会社伊予銀行)についても訴訟活動に従事した。
(三) 被控訴人は控訴人との間に、前記損害賠償等請求事件の訴訟代理の報酬に関し、成功謝金を控訴人が右訴訟の結果利得する額の一割とする旨の契約を口頭で結んでいたところ、控訴人は、前記行政訴訟事件の勝訴判決が確定し、右損害賠償等請求事件が訴訟上の和解により終局する見通しとなつて来た昭和三四年秋頃、被控訴人に対して右約定の報酬額を減額するように申込んで来たので、被控訴人はこれを拒否すると同時に、将来の紛争を防ぐために、同年一二月二四日、控訴人との間に報酬に関する契約書(甲第一号証)を作成し、前記損害賠償等請求事件及び前記(イ)、(ロ)の各訴訟事件について、被控訴人の報酬は右各訴訟事件により控訴人が最終的に取得する利益額の一割とする旨の確約を結んだ。
(四) 然るところ、昭和三七年七月二〇日東京地方裁判所において、前記損害賠償等請求事件につき当事者間に訴訟上の和解が成立した。その和解条項の要旨は「国は本件控訴人に対し昭和三七年八月一五日までに金八、〇〇〇万円を支払うこと。本件控訴人は国に対するその余の請求及び株式会社伊予銀行に対する一切の請求を放棄すること。本件控訴人は前記(イ)、(ロ)、(ハ)の各訴訟を取下げること。」というのであり、ここに被控訴人が控訴人から訴訟代理を受任した一連の訴訟事件はすべて落着し、控訴人は、右和解条項のとおり金八、〇〇〇万円を受領し、最終的に右同額の利益を得た。
よつて、被控訴人は控訴人に対し、前記報酬契約の約旨に従つて、右金員の一割に当る金八〇〇万円及びこれに対する昭和三七年九月一日より完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
三、控訴代理人は、請求原因に対する答弁並びに主張として次のとおり述べた。
(一) 請求原因第一項の事実の全部、同第二項の事実中、控訴人が被控訴人主張の頃東京地方裁判所に対し国外一名を被告として損害賠償等請求訴訟を提起した事実、同第四項中、右損害賠償等請求訴訟において、被控訴人主張のような趣旨の内容で訴訟上の和解が成立したことは認める。しかし控訴人と被控訴人との間に、請求原因第二項のような各訴訟委任契約並びに同第三項のような報酬契約が締結された事実を否認し、その余の請求原因事実を争う。
控訴人が原審において、右訴訟委任及び報酬契約の事実を認める旨陳述したのは、真実に反しかつ錯誤に基くものであるから右自白を取消す。即ち、右のような訴訟委任及び報酬契約は真実には成立していないものであるが、控訴人は、原審においては訴訟代理人を選任せず、自ら訴訟を追行したため、被控訴人が原審において提出した甲第一号証(訴訟委任並びに報酬に関する契約書)の書面が存在する以上、委任及び報酬契約の存在を認めなければならないものと誤解し、右のような陳述をなしたものである。
(二) 被控訴人が請求原因第二項で主張する各訴訟事件について控訴人と被控訴人間に委任関係は成立していない。即ち、請求原因、第一項記載の公売処分取消の行政訴訟事件が第二審(高松高等裁判所)に係属中、控訴人から同事件の訴訟委任を受けていた弁護士森吉義旭、同中村皎久は控訴人と協議し、東京地方裁判所に国及び株式会社伊予銀行を被告として損害賠償並びに慰藉料請求訴訟を提起することとし、弁護士森吉が右事件の主任弁護士となり一切の処理に当ることとしていたところ、控訴人は、昭和二八年一二月二一日訴訟代理人を附けないで東京地方裁判所に対し、損害賠償慰藉料請求事件を提起した。その後、控訴人は、弁護士森吉に対し右訴訟事件の追行を委任し、同弁護士もこれを受任して一切の事件処理に当ることとなつた。その際、弁護士中村皎久の申出により、同弁護士と被控訴人も形式上右事件の訴訟代理人として準備書面その他裁判所に対する提出書類に名を連ねることとし、右両弁護士に対する成功報酬については特に定めず、単に金一封を送るという程度の約束をした。その後、右訴訟事件について、弁護士中村一作、同佐生英吉、同横山勝彦等が受任するようになつたが、実質的には、弁護士森吉、同佐生、同横山の三名が訴訟追行に当り、前記請求原因第四項記載のような和解成立に至つたものである。この間被控訴人は、右事件につき訴訟代理人として一、二回簡単な証人尋問に立会つたのみで、殆ど実質的な関与をしていない。
次に、請求原因第二項の(イ)の事件は、公売物件の引渡及び公売不動産についての所有権移転登記の抹消等を求めるものであつて、前記損害賠償慰藉料請求事件と関連する事件であつて、弁護士森吉は、弁護士中村一作に対して右訴訟事件の提起及び追行を依頼し、同弁護士が右訴訟事件を実質上追行したものであり、被控訴人は、従来の行きがかり上、右訴訟事件の訴状並びに準備書面等に形式的に訴訟代理人として連名したにすぎず、何ら実質上関与していない。また請求原因第二項の(ロ)の事件は、前記損害賠償慰藉料請求事件につき、原告である控訴人の請求が認容されるときは、請求の基礎を失うに至る性質の請求事件であり、被控訴人は右損害賠償等請求事件が係属中である事実を知りながら、法律上の判断を誤りほしいままに訴を提起したものであつて、前記和解成立により、右訴は取下げられ、勝訴判決を受けていない。
以上のとおり、被控訴人が控訴人から委任を受けたと主張する各訴訟事件について、被控訴人は何ら実質上関与していないか或は被控訴人の専断によつて訴訟を提起したものであから、被控訴人が控訴人から右各訴訟事件の委任を受けたということはできない。
(三) 被控訴人主張の甲第一号証による訴訟委任並びに報酬契約なるものは、東京地方裁判所の前記損害賠償慰藉料請求事件の訴提起(昭和二八年一二月二一日)後約六年を過ぎた昭和三四年一二月二四日になされたものであり、これは訴訟委任契約或は報酬契約なるものが訴訟提起の際または訴訟提起後遅滞なくなされるのが通常であることに比べて極めて異例のことに属するものであるのみならず、右契約当時、右訴訟事件は弁護士森吉らの努力により、和解成立によつて解決する見透しがついていたのであり、被控訴人はこのような事実を知り、控訴人に強要して右甲第一号証の契約書に署名捺印させたものである。従つて、右契約は強迫によるものであるから無効のものである。仮に強迫の程度に至らなかつたとしても、当時控訴人は甲第一号証に記載されているような契約をする意思を持つていなかつたものであり、かつ、被控訴人も、控訴人がそのような意思を持つていないことを知りながら、甲第一号証の契約書を作成させたのであるから、民法第九三条但書の規定により、右契約は無効のものというべきである。
(四) 仮に、被控訴人と控訴人との間に訴訟委任契約があつたとしても、前記のとおり、被控訴人は委任を受けたという訴訟事件について、実質上、委任の本旨に従つた事務処理をしていないのであるから、その事務処理の対価というべき報酬を請求する権利が発生する余地はない。
(五) 仮に、被控訴人が控訴人に対し、甲第一号証に記載されているように「目的の価額または事件処理の結果依頼者の受くべき利益の一割」の報酬請求権を有するとしても、
(イ) 被控訴人は甲第一号証作成当時訴訟物の価額を知らなかつたのであるから、右一割の報酬額を算定する基礎が無いし、仮に被控訴人が訴訟物の価額を知つていたとしても、最初の訴訟物の価額は金二、二三二、八七五円に過ぎないから、被控訴人の受けるべき報酬額は、右金額の一割に当る金二二三、二八八円である。
(ロ) 前記東京地方裁判所における損害賠償慰藉料請求事件の和解において、控訴人は損害賠償金として国から金八、〇〇〇万円の支払いを受けることとなつているが、右金額は、控訴人の所有である愛媛県伊予三島市三島町字銭倉四二〇番地の一宅地外三筆の工場敷地(前記公売処分取消によつて控訴人の所有であることが確定したもの)計一、一九二坪(この代金五、九六〇万円)及び同所々在の事務所一棟、倉庫二棟(この代金一八四万円)を相手方に譲渡する代金合計金六、一四四万円を含んだものであるから、控訴人が受けた利益は、実質上は、右金八、〇〇〇万円から金六、一四四万円を差引いた金一、八五六万円である。従つて、被控訴人の受けるべき報酬額は、右金額の一割に当る金一、八五六、〇〇〇円というべきである。
四、被控訴人は、前記控訴人主張事実を総べて争う、控訴人は、原審においては、被控訴人主張の訴訟委任契約及び報酬契約を認めると陳述しながら、当審において右陳述を取消したのは、自白の取消しであるから、異議がある、と述べた。
五、証拠<省略>
理由
一、控訴人はもと三島化学工業所(愛媛県伊予三島市三島町字銭倉所在)を経営していたが、昭和二五年一二月、右工業所ターフエルト製造加工工場の建物、敷地、機械器具等が伊予三島税務署長により租税滞納処分による公売に付され、訴外三島工業株式会社が競落したこと、被控訴人は愛媛弁護士会所属の弁護士であるところ、昭和二六年二月上旬、控訴人から右公売処分取消請求の訴訟委任を受け、高松国税局長を被告として高松地方裁判所に右公売処分取消請求の行政訴訟を提起したこと、右訴訟は、第一審においては原告である本件控訴人側が敗訴したが、控訴審(当高等裁判所)においては本件控訴人側が勝訴し、前記公売処分を取消す旨の判決がなされ、昭和三三年五月二四日最高裁判所において相手方(高松国税局長)の上告を棄却する旨の判決言渡しがあり、右公売処分取消しの判決が確定するに至つたこと、一方、右行政訴訟事件とは別に、控訴人は、昭和二八年一二月二一日国及び株式会社伊予銀行を被告とし、東京地方裁判所に対し前記公売処分の違法を原因として損害賠償慰藉料請求訴訟(同裁判所昭和二八年(ワ)第一一、三一〇号事件)を提起していたところ、右訴訟事件については、昭和三七年七月二〇日、同裁判所において、当事者間に、「国は、本件控訴人に対し昭和三七年八月一五日までに金八、〇〇〇万円を支払うこと、本件控訴人は国に対するその余の請求及び株式会社伊予銀行に対する一切の請求を放棄すること、本件控訴人は、前記公売処分取消しに関連して、三島工業株式会社、株式会社伊予銀行に対して提起している訴訟を全部取下げること。」という趣旨の訴訟上の和解が成立したこと、並びに当時松山地方裁判所西条支部に、いずれも原告が控訴人、被告が三島工業株式会社である(イ)同庁昭和三三年(ワ)第一六五号所有権移転登記抹消登記手続並びに物件引渡請求事件、(ロ)同庁昭和三四年(ワ)第一八三号不当利得返還請求事件が係属していたことは、当事者間に争いない事実である。
二、被控訴人は、東京地方裁判所に係属した前記損害賠償等請求事件及び松山地方裁判所西条支部に係属した前記(イ)(ロ)の訴訟事件について、控訴人から訴訟委任を受け、かつ、成功報酬は控訴人が最終的に取得する利益額の一割とする旨約定したと主張するのに対し、控訴人は、原審においては被控訴人の右主張事実を認める旨の陳述(自白)をしておきながら、当審において右陳述を取消し、被控訴人の右主張事実を否認するに至つた。これは訴訟上の自白の取消に当り、本来許されるべきものでないが、右自白が真実に反しかつ錯誤によるものであるならば、これを取消し得るものと解すべきであるから、右控訴人が自白した事実の真否について以下審按する。
成立に争いない甲第一号証、乙第二号証、同第四ないし第九号証、当審における証人中村一作の証言、双方当事者本人各尋問の結果(但し、控訴本人の供述中後記認定に反する部分を除く)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、前記公売処分取消請求訴訟において、本件控訴人は第一審で敗訴し、その判決に対して控訴を提起するに当り、被控訴人のほかに、弁護士森吉義旭及び同中村皎久に訴訟委任をなし、右三名の弁護士によつて、右訴訟事件は追行されていたところ、右事件が控訴審に係属中、本件控訴人側においては、右公売処分の違法を前提として国に対し損害賠償を請求することを考えていたが、右公売処分取消訴訟の判決の確定を待つていては、右損害賠償請求権が時効により消滅することをおそれ、右時効の進行を止めるため、とりあえず国を相手方として損害賠償請求訴訟を提起することとし、控訴人は昭和二八年一二月二一日東京地方裁判所に対して国及び株式会社伊予銀行を被告として前記損害賠償等請求の訴を提起するに至つたこと、右訴訟提起にあたつては、弁護士森吉義旭、同中村皎久の指示があつたことは勿論であるが、被控訴人も弁護士としての立場から相談に与り、また右訴訟提起の前後において、控訴人が被控訴人を訴訟代理人に選任する旨の委任状が作成され、右訴提起後間もなく東京地方裁判所に提出されていること、その頃、控訴人と森吉弁護士との間に、右行政訴訟事件、損害賠償等請求事件を合わせて、右訴訟に勝訴した場合には、控訴人が受ける利益の三割に当る額を成功謝金として控訴人から支払うこと、及び右三割の額の内には、弁護士中村皎久及び被控訴人に対する成功謝金を含むものとすることの合意が成立し、弁護士中村皎久も被控訴人も右の趣旨を了承したこと、右損害賠償等請求事件は、公売処分取消訴訟の結果を待つため、訴訟手続は進行せず、一方公売処分取消請求訴訟が最高裁判所に係属するようになるや、昭和三三年春頃、同裁判所が右両訴訟事件を通じて一括して訴訟上の和解を勧告するに至り、被控訴人も右和解のため最高裁判所に出頭したこともあつたが、右和解は成立せず、前記のように、公売処分取消請求事件について、最高裁判所で昭和三三年五月二四日上告棄却の判決が言渡されたこと、これにより公売処分取消請求を認容した第二審判決が確定したので、損害賠償等請求事件の訴訟手続が進行しはじめ同事件について、新に東京に在住する弁護士佐生英吉、同横山勝彦らも控訴人から訴訟委任を受けて参加するようになり、同じく東京に在住する森吉弁護士を主任弁護士として訴訟手続が進められたが、被控訴人は森吉弁護士らと法律上の意見や訴訟手続追行について見解の相違を来し、右事件には積極的に参加することなく、弁護士中村皎久及びその後新に控訴人から訴訟委任を受けた弁護士中村一作らと共に、単に準備書面その他裁判所に提出する書面に名を連ねるに止まり、右事件は実質的には森吉弁護士を主任とし、弁護士佐生、同横山がこれを補佐し、以上三弁護士により追行されていたこと、一方、被控訴人は弁護士中村一作と共に、控訴人から訴訟委任を受けて、前記公売処分が取消されたことを原因として、松山地方裁判所西条支部に対し、本件控訴人を原告とし、三島工業株式会社を被告とする前記一の末尾掲記(イ)、(ロ)の二事件を提起し、右(イ)の事件は、主として弁護士中村一作がこれを担当し、第一、第二審とも本件控訴人側が勝訴するに至り、(ロ)事件は、被控訴人がこれを担当していたが、第一審における手続があまり進行しなかつたこと、前記東京地方裁判所における損害賠償等請求事件は、訴訟手続の進行とともに、昭和三四年には和解の話もようやく具体化し始めたが、その頃、被控訴人としては、この際改めて控訴人との間の報酬契約を明確にしておこうと考え、昭和三四年一二月二四日、被控訴人が東京に出張した際、旅館において控訴人と面接し、控訴人に甲第一号証の契約書を作成させ、東京地方裁判所に係属する損害賠償等請求事件及び前記(イ)、(ロ)の各事件を合わせて、「目的の価額又は事件処理の結果控訴人が受ける利益の一割」を成功謝金として控訴人から被控訴人に支払うことを控訴人に約束させたこと、その後、昭和三五年五月東京地方裁判所が前記損害賠償等請求事件につき伊予三島簡易裁判所、松山地方裁判所において証拠調べを行つた際には、被控訴人も控訴人の代理人として出頭し、証人尋問をなしたようなこともあつたが、その他は、被控訴人は右事件については殆ど関与しなつたこと、同事件は前認定のように昭和三七年七月二〇日前記一掲記のような内容の訴訟上の和解が成立して終了し、また前記(イ)、(ロ)の各事件も右和解の結果訴が取下げられて終了するに至つたこと、前記公売処分取消請求訴訟が提起されてから、右のように全訴訟事件が終了するに至るまで、控訴人から被控訴人に対しては、右公売処分取消請求訴訟についての着手金として、右訴訟提起当時金一〇万円が支払われたのみで、その余は訴訟手続費用等も全く支払われていなかつたことを認定することができる。当審における控訴本人の供述中右認定に抵触する部分は、措信し難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。
以上認定の事実からすると、控訴人と被控訴人との間において、被控訴人主張の各訴訟委任契約は有効に成立したものということができると共に、この委任契約を基礎とする報酬契約も、遅くとも甲第一号証が作成された昭和三四年一二月二四日には、被控訴人主張のような内容で成立したことが明らかである。
控訴人は、被控訴人に対する訴訟委任は、形式的なものに過ぎず、実質的には、被控訴人は訴訟活動に関与していないものであるから、控訴人と被控訴人との間に委任受任の関係は成立していないと主張するところ、前認定のように、東京地方裁判所における損害賠償等請求訴訟事件は、実質的には森吉弁護士外二名の弁護士が関与し、被控訴人の関与は少なかつたとはいえ、被控訴人は、右損害賠償等請求訴訟の前提ともいうべき公売処分取消請求訴訟に当初から関与し、前記訴訟上の和解成立により右公売処分取消に関する一連の訴訟事件が総べて終了するまで、控訴人と被控訴人との間にその信頼関係を破るような特別な事情が存したとも認められないし、かつ、被控訴人としても右損害賠償等請求事件については、訴の提起及び証拠調べの一部に現実に関与し、その他の事件についても訴の提起等に関与しているのであるから、控訴人から被控訴人に対する訴訟委任の関係が単なる名目にすぎず、実質的には存在しなかつたものということはできない。
また、控訴人は、甲第一号証の契約書は、被控訴人の強迫に因り作成されたものであり、仮に強迫の程度に至らないとしても、控訴人の真意に基かないで作成されたと主張し、控訴本人も当審において右主張事実に添う供述をなすけれども、控訴人は、強迫に因る意思表示としてその取消を主張しないのみならず、前記認定のように、控訴人と被控訴人とは前記一連の各訴訟事件に関し当初から最後まで長期間委任者と受任者との関係にあつたこと、また甲第一号証の契約書作成後においても、被控訴人が控訴人のために訴訟活動をしているような事実、或は、前記損害賠償等請求訴訟提起当時において、弁護士森吉、同中村皎久、被控訴人の三名に対する成功謝金を三割とする旨控訴人も意思表示をしていたような事実等からしても、控訴本人の右供述部分はにわかに信用することはできず、他に右控訴人主張事実を肯認できるような証拠もなく、前叙認定の報酬契約が控訴人の意思に基かないものであるとは、到底見られない。
そうすると、控訴人と被控訴人との間に、被控訴人主張のような訴訟委任及び報酬契約は締結されていたものであり、この事実を認める旨の控訴人の自白は真実に合致するものであるから、これを取消すことは許されないものといわなければならない。
三、以上説示したとおりであるから、被控訴人が前記被控訴人主張の各訴訟事件について、控訴人から控訴委任を受け、かつ、成功報酬を控訴人が最終的に取得する利益額の一割に当る金額と約定したことは、当事者間に争いのない事実である。そして、前記損害賠償等請求事件について、前記のとおりの内容の訴訟上の和解が成立し、かつ、当審における控訴本人尋問の結果によると、右訴訟上の和解条項に定められた通り、控訴人は国から金八、〇〇〇万円の支払いを受けたことが認められるから、控訴人としては被控訴人に対し、特段の事由の認められない限り右金額の一割に当る金八〇〇万円を支払うべき義務があるものといわなければならない。
四、ところで、控訴人は、被控訴人が前記委任契約に関し、その本旨に従つた事務処理をしなかつたから、右報酬請求権は発生しないと主張する。
しかしながら、被控訴人は、前記認定のように、その受任にかかる三個の訴訟事件殊に前記損害賠償等請求事件に関して、特に表面に立つて積極的に訴訟活動をしなかつたとはいえ、前叙認定のような訴訟の経緯に照らすと、被控訴人が全く委任事務を処理しなかつたと見ることは相当でない。そしておよそ、弁護士が民事訴訟事件について訴訟代理人となり、その受任事件が本件のように訴訟上の和解により終局的に委任者の利益になるように解決された場合においては、他に特段の事由のない以上、その弁護士の事務処理は委任の本旨に従つてなされたものといわなければならない。また、数人の弁護士が共同で訴訟代理をした場合において、個々の弁護士について、委任者の利益のために如何なる程度の貢献をなしたかを計量することは、その業務の性質上極めて困難であり、本件においても、前記控訴人と被控訴人との間の委任契約の直接の対象とされている三個の訴訟事件の基本的前提となつている公売処分取消請求訴訟においては、被控訴人は、その第一、第二審を通じて熱心に事件処理に当り、控訴人の勝訴に貢献するところが大であつたと考えられる一方、これに対しては、右事件の判決確定後四年を過ぎた前記訴訟上の和解成立当時においても、何ら特別な報酬も支払われていなかつたような点を考慮すると、被控訴人が前記損害賠償等請求本件について実質的には何ら訴訟活動をしなかつたから、報酬請求権は発生しないとの控訴人の主張は、採用し難い。
もつとも、控訴人が現実に金八、〇〇〇万円の支払いを受けることができるようになつた損害賠償等請求事件については、森吉弁護士を中心とする東京在住の弁護士らが主としてその事件処理に当り、被控訴人が積極的に右訴訟事件に関与した程度が少い事実や、当審における控訴本人尋問の結果から認められるように、前記一連の訴訟事件に関して、被控訴人を除く他の五名の弁護士に対しては、控訴人が前記金八、〇〇〇万円を国から支払いを受けた後、着手金、手続費用、諸経費並びに成功報酬の総べてを含めて、合計金一、〇〇〇万円程度しか支払われておらず、また、右五名の弁護士らも、本件が結局は和解によつて解決したことを考慮し、また控訴人の立場にも同情して、右程度の支払いを受けたことで一応満足している事実等からすると、控訴人として、被控訴人に対してのみ金八〇〇万円という多額の報酬を支払わなければならないということは、納得し難いところであろうと十分推察できる。従つて控訴人の前記主張は、被控訴人には報酬請求権が全く無いというのではなく、被控訴人に対してのみ高額の報酬を支払うことはできず、他の弁護士に対する支払額と均衡を保つ額以上についての被控訴人の請求が不当であることを主張する趣旨を含むとも解せられる。しかしながら、前認定のような訴訟委任並びに報酬契約が存し、これに応じた事実が存する以上は、右のような諸事情があつたとしても、これをもつて被控訴人が右契約上の権利を行使することを妨げ得る法律上の事由と解することはできず、控訴人としては、右のような契約をした以上、これに基く支払義務の履行を免れることはできないというべきである。
五、次に、控訴人が、(イ)前記訴訟上の和解によつて解決した損害賠償等請求訴訟事件の訴額は、金二、二三二、八七五円であるから、被控訴人が受ける成功報酬金は右金額の一割に当る金二二三、二八八円であるとか、(ロ)控訴人が右和解によつて受けた利益は、国から支払いを受けた金八、〇〇〇万円から公売処分の対象となつていた控訴人所有不動産の価額金六、一四四万円を差引いた金一、八五六万円であるから、被控訴人が受ける成功報酬金は右金額の一割に当る金一、八五六、〇〇〇円であるとか主張する点について考えるに、本件においては、被控訴人は、控訴人が受ける利益の一割を成功報酬として支払う約定があつたとして、これに基いて請求しているのであり、前顕甲第一号証の契約書によると、成功謝金として「目的の価額又は事件処理の結果依頼者の受くべき利益の一割」に当る額を控訴人から被控訴人に対して支払う趣旨の記載があると共に、裁判上裁判外の和解調停示談等によつて事件解決したときは、受けた利益の限度において成功とみなして謝金を支払う旨記載されていることが明らかであるから(甲第一号証の第五項参照)、本件の場合訴額がいくらであつたかは関係がないから、右控訴人主張(イ)の点は理由がない。
そこで右(ロ)の点の主張に関して以下判断するに、およそ、民事訴訟事件を提起した者が、全面的に勝訴した場合においても、その者は、他人によつて妨げられていた自己の権利を回復し、その権利行使の実効を得るに至るに過ぎないのであり、自己が本来有していた権利以上に、経済的の利益を取得するというようなことは、あり得ないところであり、弁護士に民事訴訟事件の訴訟行為を委任した者が、その訴訟の結果得る利益を報酬額算出の基準にするという場合の利益とは、その訴訟の結果、回復し得た権利或は実効を有するに至つた権利を経済的に評価した額をもつて委任者の受けた利益と解さなければならないことはいうまでもない。本件についてみても、前記公売処分取消請求訴訟事件に始まる一連の訴訟事件において、仮に、本件控訴人が全面的に勝訴した場合においても、控訴人は違法な公売処分によつて失われた自己所有の工場建物、敷地等に対する権利を回復し、その権利行使を妨げられていた間における控訴人の物質的精神的損害を補填し得るに過ぎないものであり、それ以上に何らかの利益を得るものではないのであるから、控訴人が国から支払いを受けた金八、〇〇〇万円を工場の土地建物の価格と、その余の分とに分け、後者が控訴人の受けた利益というべきであると主張すること自体すでに矛盾があるといわねばならず、また、右報酬支払いの基準としての控訴人が受ける利益というのを右控訴人主張のように定めるというような合意が、控訴人と被控訴人との間に存していたと認められるような証拠もない。従つて、甲第一号証の契約書にいうところの「事件処理の結果依頼者の受くべき利益」とは、訴訟上の和解により控訴人が国から支払いを受けた金八、〇〇〇万円全額がこれに当るものと解するのが相当であり、控訴人の右(ロ)の主張もまた理由がない。
六、以上説示したとおり、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は結局相当であるから、民事訴訟法第三八四条第一項に従つて本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 浮田茂男 水上東作 石井玄)